2023年03月04日

なぜ、大野環はダンス音痴だったにも関わらず、奨励賞に至るほどフラメンコが踊れるようになったのか?その7

話は、ZORROに戻ります。
稽古含めて約半年間、
舞台のお仕事だけで食べさせてもらい、
途中東日本大震災がありましたが、
ZORROの舞台は奇跡的に上演中止にならず、
プロフェッショナルな人、
そうでもない人、
いろいろな人と関わらせて頂き
大変勉強になった舞台でした。

舞台が閉幕して
この年から、自分の教室を開くことに決めましたが、
舞踊団在団中は代講などもやった事がなかったので
一から教えをしていくのは、なかなか大変でしたが
やりがいもありました✨

そして少しずつ、
私のやりたい踊りの方向性が見えてきて、
舞踊団にいた頃には気がつかなかった事、
ギターとカンテ、踊り手は小さなオーケストラであり、
踊り手は踊りながら指揮をしてギターとカンテに明確に指示を出し、
大事なのは振り付けではなく、
いかにコンパス感を持って踊る事が出来るか、
唄とギターの起伏に、いかに踊りを合わせられるか、なのだとか
180度と言っていいほど、
方向性が変わりました。

そこに気がついたおかげと、
舞踊団時代に培った身体的技術のおかげで
それが上手い具合に合わさって、
新人公演で奨励賞を頂く事が出来ましたが、
この時も、度重なるハプニングで本当は賞を頂くなど考えられないような状況、になってました…
posted by たま at 16:47| Comment(0) | フラメンコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年02月27日

なぜ、大野環はダンス音痴だったにも関わらず、奨励賞に至るほどフラメンコが踊れるようになったのか?その5

ZORROの話の続きをする前に、
この時点で、たまは身体能力的にはだいぶ成長していたので、
なぜそんなに身体能力が上がったのか、
そちらをお話ししますね❣️

大きかったのは、
たまが入った「岡本倫子スペイン舞踊教室」の体制が、大きく関わっていると思われます。

まず、
@指導者である岡本倫子先生の教えが、
「身体の向きを徹底的に教え込む」
だったから。

この時のポーズは、
顔の向きはこっち、
胸の向きはこっち、
手はここ、
足の向きはこっちよ❣️
と、
事細かに指導されたおかげで、
ポーズを美しく決める事が出来るようになりました。

A自分が受けているクラスのレベルより下のクラスなら、
いくら受けても無料。

当時は、自分が受けているクラスより下のレベルのクラスは、
タダで受けて良い事になっていたので、
以前やった曲の振付をしっかり復習でき、
1クラス1時間15分のクラスをいくつも連続で受ける事で、
自然と体力も身に付きました。

B舞踊団のお姉さんたちの踊りが上手すぎる。
代講もされていた舞踊団員のお姉さんたちのクラスも受けられるので、
同じ振付でも、それぞれの踊り方を習えるだけではなく、
その身体能力の高さを間近で見る事が出来て、
「これがプロとしての通常レベル」だという認識を自然に刷り込まれました。
自分と何が違うのか、一生懸命観察して、
少しでも同じ様に踊れるよう、自分の踊りをその人たちに近づける努力を怠りませんでした。

C小物を使う振付が多かった。

カスタネットを始め、
マントンやバタ・デ・コーラなどの小物を用いた振付が多く、
「何かを操作しながら、自分の身体も操作する」という訓練も、
身体能力を上げる要因の一つ、だったと思われます。

この時、
身体能力を向上させる事が出来たことには
大変感謝しております✨

ただ、この頃はまだ
「唄を踊る」というフラメンコの1番大事な肝は分かっていませんでした。
「難しい振付をこなす」という事を重要視していたのが一つと、
舞踊団の教室では、
「唄やギターを聴く」という事は
キチンとは教わらず、
振付が終わって、発表会近くなってから
初めてミュージシャンとの合わせがあるので、
振付が全部終わってから、音楽隊と合わせるものなんだな、
音楽は振付の長さに合わせてもらうものなんだな、
という認識で、
「唄を聴きながらマルカへする」
「唄に合わせて踊る」
というような事は、
全く分かっていませんでした…

それらを意識するようになったのは、
舞踊団を辞めて独立してからになります。
posted by たま at 11:21| Comment(0) | 華麗なるフラメンコ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年02月26日

なぜ、大野環はダンス音痴だったにも関わらず、奨励賞に至るほどフラメンコが踊れるようになったのか?その4

オーディションに行ったら、
知った顔のフラメンコ関係者もちらほら・・・
「あ〜何々ちゃんも来てたの〜?」
って感じで、和気あいあいとしてましたが、
フラメンコ部門の他に
ミュージカル部門、も当然あって
そちらは何百人も集合していて、
「合格してやる」オーラがムンムン出ていてピリピリ・・・
そりゃそうだ、
ミュージカルの人たちは、
東方の舞台に出るってことは
日本におけるミュージカル界のトップの舞台に立ってる、てな立場になるわけ、ですから・・・

1度目のオーディションは、フラメンコとミュージカル俳優は別々にオーディションがあり、
「もう一回来てくれ」というお話でまた行ったら、今度は
ミュージカルの人たちと合同で
ラファエル・アマルゴがやった振りを実際の楽曲に合わせて何人かずつ踊らされました。
「タマキ、1人で踊ってみて❣️」と
ラファエル・アマルゴにスペイン語でご指名があり、
皆さんの前で、その振り付けを踊ってみたり、
「何か歌って❣️フラメンコでも、なんでもいいから」と
アレグリアスを裏覚えながら歌ったりして、
結果、合格をいただきました✨

この時合格をいただいた理由は、
*演出家が地声好きで、
アレグリアスを地声で歌ったことが良かったらしい
*フラメンコを踊れる人で、
+芝居ができて歌が歌える人が、他に本当にいなかった

ってことで、
「日本人ただ1人のフラメンコダンサー」
という肩書きで、出演させていただきました✨
他のフラメンコダンサーは、
全員スペインから呼び寄せ、
歌を日本語で覚えてもらうのはなかなか骨が折れましたが、
一応、全員歌える人たち。
可愛がっていただいた上条恒彦さんにも言われました。
「たまちゃん、歌をやりなさい。
歌が歌えることは、武器になるから」

この時の経験が、
「歌えた方が、何かと得❣️」
につながりますが、
フラメンコは、歌を踊るものだと認識しています。
カラオケに行っても、
知らない曲は歌えない、ですよね?
それと同じで、知らない歌は踊れないんです。
歌唱力がなくても、
せめてメロディだけでも口ずさめるようになると
歌の起伏や盛り上がり、
メロディが伸びたり縮んだりしても
歌の落ちどころがわかるようになるので、
踊る時の手助けになります❣️

そして、芝居心。
「自分を見せる」
「踊りの構成を演出する」
「踊りの見せ場を作る」
ということに、絶対役立ちます❣️

踊りの構成を作ることは、
自分で脚本を書き、
役の肉付けをしていき、
空間の使い方を考えて、
その1曲を一幕の芝居と捉えて、演出をする。
ということ、なんです✨

posted by たま at 11:02| Comment(0) | 華麗なるフラメンコ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年02月25日

なぜ、大野環はダンス音痴だったにも関わらず、奨励賞に至るほどフラメンコが踊れるようになったのか?その3

日本でも、
通っていた岡本倫子舞踊団の公演に
早いうちから出演させて頂くようになり、
他の先生にもちょこちょこ習ったりしながら
徐々に、ソロを踊る機会も増えていきました✨

新人公演は、
全部で5回、出演したかな?
最初に出たのが
ヘレスのメルセデス・ルイスに個人で習ったファルーカをなんとか形にしたくて、
曲をタンゴ・デ・マラガに変えて自分で構成をつけました。
で、
「自分で構成を考える」という事にハマりました。
お芝居で役を演じる時って、
自分でその役の台本にはないバックヤードを考えたりして、
役に肉付けをしていくんですね。
その作業に似ているというか、
お芝居との共通点があった事で、
「ダンス」ではなく「フラメンコという芝居」と捉えた、ので
きっと面白かったんでしょうね。

で、フラメンコを習い始めて10年くらいした時に、
運命の舞台との出会いがあったわけです✨

それが、東宝ミュージカルの「ZORRO」でした❣️
振付がラファエル・アマルゴで、
踊りは基本フラメンコ。
東宝さんは、
「歌って芝居のできるフラメンコダンサー」を
大募集した訳ですが、
そんなフラメンコダンサー、
そんなにはいません…😅
「これは、たまさん向きでは?」と
私がミュージカルをやっていた事をご存知の舞踊団の事務の子が、オーディションの詳細FAXを見せてくれましたが、
いやいや天下の東宝でしょ?
ミュージカル現役時代にだいぶオーディション受けましたが、
箸にも棒にも引っかからず…
でもま、一応応募してみましょうかね、と
書類出してみたら、
「すぐ来て」くらいの勢いで
書類選考通過、のご連絡が…😂

posted by たま at 15:57| Comment(0) | 華麗なるフラメンコ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年02月24日

なぜ、大野環はダンス音痴だったにも関わらず、奨励賞に至るほどフラメンコが踊れるようになったのか?その2

で、いきなりの海外。
いきなりのスペイン。
いきなりのセビージャ😂

スペイン語は、ある程度日本で教室に通いましたが、
アンダルシア訛りは全く歯が立たず・・・

セビージャのフラメンコスタジオにかけもちで通い、
途中ヘレスのフェスティバルに2週間行って、またセビージャに戻りましたが
この時のヘレスが良すぎて、
翌年からは、ヘレス一本に絞りました。

ヘレス在住のメルセデス・ルイスの踊りが好きだったので、
彼女のスタジオに通って、定期クラスと個人レッスンを受けながら
ヘレスのブレリアも習いに行ったりして過ごしてました。
夜は生ハムをつまみに日本では高価なビノ・デ・ヘレスを煽り、
元々田舎好きだったこともあって
ヘレスはたまの好みにめちゃくちゃ合っていました✨
最初は心を開いてくれない感じのヘレサーノ達も、
何度もしつこく接するうちに仲良くなり、
よく奢ってもらったなあ・・・
(ヘレスはセビージャに比べればダントツ田舎なので、
田舎の人って、なかなか懐を開いてくれないんですが、
一度開くと今度は鬱陶しいくらいウエルカムなんですね😅)

で、10年くらい毎年、日本にいる時は休みなく仕事を詰め込んで、2ヶ月くらい一気に休みを取ってヘレス(時々セビージャ)に通いましたが、
最初のうちは、
振り付けを覚えるという概念はなかったんです。
スペインに行ってから、
「あ、振り付けって覚えなきゃいけないものなんだ〜」
って、ようやく気がつきました😂
そこからは、クラス終わってからすぐスタジオ借りて自主練したり、
スタジオが借りられない時は
公園や家で習った振り付けをなんとか忘れないように体に入れる作業をやって、
翌日クラスに行ったら、前日までの振り付けをちゃんと覚えていたのはたまだけだったりして
先生にめちゃくちゃ褒められたりして、
嬉しくなってまた頑張る、という単純な性格でした😂

今にして思えば、
ここで「振り付けを頭で覚えて身体に入れる」という訓練を
必死にしていたわけで、
まずこれがたまにはとっても良い訓練、だったんですね。

そう、訓練すれば
振り付けは覚えるスピードが上がります❣️
当時は今みたいに動画をすぐ撮れるわけではなかったので、
頼れるのは録音のみ・・・
必死にレコーダーを聞いて、
パソを思い出す作業をしていると
段々、覚えていられる時間と量が増えてくるんです✨
今は、すぐに録画できてしまえたりするので
それに頼りすぎちゃってることが多いように思えますが、
自分の頭に振りを入れて、まず頭で理解するということは
すっごく大事な作業の一つ、です❣️
繰り返していれば、段々
パソを取るスピードが上がってきますし、
先生の踊っている時のニュアンスなども
頭にインプットすることができます✨

自分の頭を甘やかさないこと、
これ、すっごく大事ですので
ぜひ実践してみてくださいね❣️

動画を撮ることは、
万が一振り付けを忘れてしまった時の
「保険」くらいに考えておきましょう❣️

<続く>

posted by たま at 12:02| Comment(0) | 華麗なるフラメンコ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする